2024.07.02
先日、ある僧侶の方のインタビューをテレビで目にしました。
年間1800時間に及ぶ座禅を行うことで知られる安泰寺というお寺の住職を
長年務められた方で、海外で生まれ、高校生の時に座禅に出会われたそうです。
その方が仰られていたのが、
「今はSNSなどで情報がたくさん入ってくるため、誰かに対しての自分、
という比較で自分を捉えることが中心になっている」
「でも、ここにあるのは『天地いっぱいの我』でしかない。外を歩いたら、
鳥の声が聞こえ、虫の声が聞こえる。今ここ、に現れているこれが
『天地いっぱいの私』なんです」という言葉でした。
カウンセリングでも、反芻思考が止まらない方、いつも他者軸で行動
してしまうという方に、マインドフルネス瞑想を実践して頂くことがあります。
情報に振り回される現代だからこそ、ただ呼吸に意識をむける、
聞こえてくるものにただ気付く、という時間がより必要になっている
と感じていたので、その言葉にとても共感しました。
また、長年の坐禅を通して得たことについて、
「生きることに意味はないんだな、と気づいた時にホッとした」
「坐禅も、息を吐くこと、次に吸うことに、意味はないんです」
とお話されていました。
長年、修行に取り組んでこられた方がそう仰るのを聞いて、
「あぁ、そうなんだ」となにかがストンと胸に落ちて、
ホッとしている自分がいました。
日常の一つひとつの行動や、今日を生きることに
絶えず意味を求めてしまい、そこに意味が見いだせないと私たちは苦悩します。
でも本当は、生きることそのものに意味はなくていい。
修行未経験の私には、きっと一部しか理解できていないように思いますが、
まずは、「何かに意味を求めている自分」に日々気づいていけたらと思います。